「抜け駆け」

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 騒がしいのは、嫌いではない。さまざまな立場や出身の人間が入り混じり、雑多な空気の中で過ごしていると、退屈しないからだ。
 その意味で、このビュッデヒュッケ城は、我が家とでも言うべきブラス城よりもパーシヴァルの性に合っているといえるのかもしれなかった。
 まさに昨日までは命のやり取りをした相手と、今日は隣り合って食事をする。そういう環境に馴染みにくいとこぼす同僚がいる中で、パーシヴァルは悠々とその生活を楽しんでいた。

 シックスクランとの共同戦線を張るにあたり、本拠地として選ばれたビュッデヒュッケ城について、パーシヴァルがいち早く気に入ったのは、充実した馬場があることだった。十分な広さがあり、手入れも行き届いている。
 パーシヴァルはビュッデヒュッケ城に居を移してまもなく、周囲の状況が落ち着いたのと同じ頃から、時間が空くとそちらへ足を向けることが多くなっていった。
 幾分風は強いが良く晴れた昼下がり、昼食の相伴をしたうら若き婦人と別れて城内を歩いていたパーシヴァルは、その時も気が向いて厩舎へと向かっていた。風に煽られるようにして馬を走らせるのも悪くないと思ったのである。
 ある思い付きがパーシヴァルの脳裏をよぎったが、数秒考えた後にその考えは却下した。
 クリスを、久々に遠乗りに誘ってみようかと思ったのだ。
 以前にブラス城にいた頃は、クリスも手の空いたときには愛馬の調子を見に厩舎にやって来て、居合わせたパーシヴァルの誘いに乗って共に遠乗りをしたことが何度かあった。だが、近頃はシックスクランとの協議やサロメとの打ち合わせで忙殺されていて、滅多に馬場には姿を見せなくなっていた。
 息抜きを兼ねて誘い出してみようかと考えたのだが、あまりクリスを連れ出すとサロメから苦言を呈されるので、次の機会に先延ばしにしたのだ。
 クリスにとって、今が団長としての器量を問われる時である。酷なようだが、忙しいのも当然だとパーシヴァルは考えていた。六騎士として助力の必要な時には手助けするが、クリスが負うべき責任は、彼女しか果たせないものなのだ。
 無論、生真面目すぎるきらいのあるクリスの性格も承知しているパーシヴァルは、以前のように過労で倒れることのないよう、気を配ることまで放棄するつもりはなかった。機を見計らって、いずれクリスに誘いを掛けてみるつもりだ。
 内心ではそんなことをつらつら考えつつ、声を掛けてくる知人とはごく普通にやりとりをしながら、やがてパーシヴァルは牧場に到着した。真っ直ぐに厩舎へと向かい、いつもなら人気のないそこに意外な人物がいるのに気づき、すっと目を細めた。
 ナッシュ・クロービスだった。慣れた手つきで馬に餌をやり、頭を撫でている。すぐにこちらに気付いたようだったが、パーシヴァルは声を掛けずに横を素通りして、自分の馬の側に寄った。
「あなたがここによく来るという噂は、本当だったようですね、パーシヴァル殿」
 しかしナッシュはパーシヴァルの態度を気にとめた様子もなく、話し掛けてきた。パーシヴァルは愛馬の様子に目を遣ったまま、横目でナッシュを見た。
「どんな噂があっても、私には関係ないと存じますが」
「話してくれたのは、あなたの団長殿ですよ」
 クリスのことを持ち出してきたナッシュを、パーシヴァルは冷ややかともとれる表情で見返した。
「何の御用か、ナッシュ殿?」
 はぐらかすような曖昧な笑みを浮かべて、ナッシュは軽く肩をすくめた。
「そう邪険にしなくてもいいでしょうに。単に、同じ城に居合わせたもの同士、ちょっと友好を図ってみただけですよ」
 パーシヴァルは顎を上げてナッシュを見、いきなりがらりと口調を変えた。
「白々しい。生憎だが、どこの犬とも知れないあんたと、馴れ合う趣味は持ち合わせていないんでね」
 驚いた様子もなく、ナッシュはさらに微笑した。
「天下の六騎士殿が、大した口の利き方だな」
「育ちが良いとは言えないんでね、あんたと違って」
 パーシヴァルは年長のナッシュに大して臆するところもなく、対する男の頭から足先までを眺めた。
 表に出すまいとしても、育った環境は自然と雰囲気に滲むものだ。ナッシュ・クロービスの場合、生粋のゼクセン人にある言葉の訛りもない。むしろ話す言葉は流暢で癖がなく、ぞんざいな口の利き方をしていても下品になりきれないところがあった。加えて、身のこなしは相当な武術の修練の結果を窺わせていて、隙がない。そして、見事な金髪は、さる国では階級の高さを表していると聞いたことがあった…。
「サロメ殿から、あんたの素性を詳しく聞く気にもならないね。あんたの生業がなんだろうと、おれの知ったことではないからな」
「まあ、そのことはいずれ分かるさ。それより、クリスのことだが」
 クリス、と呼び捨てにしたナッシュを一瞥したきり、パーシヴァルは無視して己の馬の側に寄り、乗馬するために鞍を馬の背に置いた。
「いいのか、聞かなくても」
「クリス様のことをあんたに聞いても仕方ない」
「実はこの後、クリスをデートに誘ってあるんだが」
 手際よく準備を済ませると、パーシヴァルは馬を引き出した。そのまま引いてゆくつもりだったが、気を変えた。騎馬に慣れた動作で、身軽に馬の背にまたがる。
 馬上からナッシュを見下ろすと、向こうをこちらを見上げていた。
 パーシヴァルは、ビネ・デル・ゼクセの女性を魅了する整った顔立ちに、人の悪い微笑を見せた。
「そういえば、こんな諺は存じていらっしゃるか」
「どういうものかな」
「人の恋路を邪魔するものは、馬に蹴られて死ね」
 さすがのナッシュも目を瞬いた。
「あまりクリス様にちょっかいを出していると、馬に蹴り殺されても文句は言えませんよ。誰の馬とは、この場合申し上げませんがね」
「あなたの馬かもしれないな。…一応、忠告は感謝しておこう。せいぜい気をつけるよ」
 素早く態勢を立て直したナッシュが応じると、パーシヴァルは黙って笑んだ。そのまま馬を急かして身を翻し、軽快にその場から走り去る。
 一人残ったナッシュは苦笑してひとりごちた。
「さて、俺も嫌われたもんだ」
 その理由は薄々わかっていたので、ナッシュは特に気にする様子もなく、手元にずっと持っていた紙片に目を落とした。
「ああまで冷たくあしらわれて、折角のデートを譲ってやる義理もない気がするが…、まあ、クリスのためだしな。少しは息抜きさせてやらないと」
 一番奥に繋がれている、クリスの白馬の厩に歩み寄って、目に付く場所に紙片を結んで止めた。
「さてと、退散しますか。馬に蹴られて死ぬ前にね」
 ナッシュが出て行ったのとほぼ入れ違いに、今度は別の人物が厩舎にやって来た。その者は先ほどナッシュが結んだ紙片にすぐに気付き、それを解いて中の文面に目を通すと、首を振ってため息をついた。そして頭を摺り寄せてくる白馬の首を撫でると、馬に置く鞍を取りに、一旦厩舎を出て行ったのである。

 幾分苛ついた気持ちで、パーシヴァルは馬を駆っていた。
 ナッシュのことは好かなかった。その理由が自分で分かっているだけに、自分に対して苛立ちを感じずにいられなかったのである。
 サロメの根回しで、ナッシュと共にクリスがブラス城を出て行ったことがあった。迷いを抱えていたクリスに、騎士団長としてではなく一人の人間として外の世界を見て欲しかったために、六騎士の彼らは団長の出奔に暗黙の了解を交わした。
 そして、クリスは一つの区切りをつけて騎士団に帰ってきた。それまでの間、クリスの傍にずっとついていたのは、あの男だ。それ以来、口に出していわないが、クリスはナッシュにそれなりの信頼を寄せているように見えた。
 ……つまるところ、ナッシュを好かない原因は、その経緯につきるのだった。
 パーシヴァルはビュッデヒュッケ城から遠ざかるようにして、馬を走らせた。緩やかな丘を下って、ブラス城のある方角へ向かい、目の前に現れた小さな池のほとりで、やっと馬の足を緩めさせた。
 馬から下りたパーシヴァルは、息の乱れている馬に池の水を飲ませてやり、引き綱を木の幹にまきつけた。
 自分は若草の上に寝転がる。頭の下に手を入れて青い空をちらと見上げた後、そのまま目を閉じた。
 いちいち、あんなことで苛立つのは、らしくないという自覚が十分にあった。こういう時は、何も考えずに寝てしまうに限る、とパーシヴァルは早々と冷静に判断を下して、昼寝を決め込んだのだった。
 目を閉じたパーシヴァルの頬を、強い風になびいた草がなでていたが、暖かい日差しと共に、それは眠気を誘うものだった。まもなく昼食後の心地よい眠気に襲われてパーシヴァルはまどろみ始めた。周囲に対する意識が薄らぎ始めた頃、遠方からやってくる馬の蹄の音を耳聡く聞きつけて、パーシヴァルは薄目をあけた。
 そのまま耳を澄ませていると、一匹の馬が、ゆっくりと何かを探すように時折立ち止まりながら、徐々にこちらに近づいている。腰の剣にそっと手を遣ったまま、パーシヴァルは頭を巡らせてその方向を見た。一瞬、意外なものを見たように目を見開いたが、すぐに剣に添えていた手を離して、パーシヴァルは目を閉じた。
 しばらく経ってから茂みをかき分け、至近に姿を現した馬上の人物は、パーシヴァルに声をかけてきた。
「やっと見つけたぞ、パーシヴァル」
 狸寝入りを決め込んでいたパーシヴァルは、そこでやっと眼を開き、さも意外そうにその人物を見上げた。
「おや…、これは、クリス様。いかがされましたか?」
 クリスは呆れた顔をして、寝転んでいるパーシヴァルを馬上から見下ろしていた。
「いかがもなにも、あの手紙を寄越したのはお前だろう」
 心当たりのないクリスの言葉に、内心でパーシヴァルは首を傾げたが、表面上は平静を装っている。
 クリスは顔をしかめた後、馬上から降り立った。白馬をパーシヴァルの馬と同じように繋いだ後、身を起こしたパーシヴァルの隣に腰を下ろした。
「まず執務室にいた私に手紙を寄越して馬場に誘っておいて、厩舎には草原で待つ、と書いた紙片をしばりつけておく。随分手の込んだ真似をして、一体、何だというんだ」
 クリスから差し出された二通の手紙に、何気ないふりをして、パーシヴァルは素早く目を走らせた。
 『お忙しいことは重々承知しておりますが、馬場においでいただけませんでしょうか?』と書かれた一通目と、『草原にて、お待ちしております』とのみ書かれた二通目の紙片。
 パーシヴァルが舌を巻いたのは、そのどちらにも、パーシヴァルの筆跡を完璧に真似た署名がなされていたことだ。クリスがパーシヴァルの仕業と信じて疑わないはずだった。
 厩舎でのナッシュの台詞を思い出して、パーシヴァルは思わず微笑した。
 ナッシュはクリスをデートに誘ったが、「誰の名で誘ったか」についてまでは言っていなかった。
「お膳立てしてくれた、というわけか」
 小さく呟いたパーシヴァルの言葉を聞き取りそびれて、クリスは首を傾げた。
「何か言ったか?」
 パーシヴァルは何でもないと首を振った後、ふと思いついてクリスに問い掛けた。
「クリス様、もし同じようにしてナッシュ殿が誘っていたら、どうしました?」
「ナッシュが?」
 クリスは怪訝そうにパーシヴァルを見つめた。何故、と眼で問い掛けて、かえって返答を視線で促され、仕方なく応える。
「どうって…、まあ、無視したかな」
「何故です?」
「奴はどうでもいい用件でも、軽く誘いをかけてくるから困るんだ」
「信用がないですね。……じゃあ、何故、私の誘いには乗ってくださったんですか?」
「えっ……」
 クリスは言葉に詰まって、パーシヴァルを見た。名高い疾風の剣士は、整った顔立ちに、満足そうな笑みを浮かべている。
「それは……」
「それは?」
 にこにこ笑いながら自分を見つめてくるパーシヴァルの顔をなぜか見ていられず、クリスは目をそらしながら答えに窮した。
「そ……、それよりも、まだ私の質問に答えていないぞ、パーシヴァル。こんな場所まで呼び出して、一体何なんだ。探すのに随分手間取ったんだからな」
 クリスが本気で困っている様子を楽しく見つめてから、パーシヴァルは追及の手を緩めることにした。不器用な話題転換に乗ってやる。
「近頃、またクリス様がお忙しくしていらっしゃるから、ほんの少しでも息抜きをしていただけたらと思いまして」
 ナッシュがわざわざ他人の名を使ってまでクリスを呼び出したのは、おそらくそれが理由だったはずだ。考えていたことが一緒だったのは面白くないが、クリスに気分転換をさせたかったのはパーシヴァルも同様だった。乗ってやるさ、と割り切ることにした。
「たまには、変わった手管でお誘いするのもいいかと思ったのですが…。気晴らしになったでしょう?」
 仕組んだのがナッシュだということは、説明するのがややこしいので黙っておいた。要は、クリスのためになればいいのだ。
 いまひとつ納得しがたい表情でパーシヴァルを見つめていたクリスは、一つ息をついて、肩をすくめた。
「…仕事を途中で放り出してきてしまったんだぞ。帰ったらサロメに叱られる」
「私めが、その役はお引き受けしますよ」
 パーシヴァルは、クリスに向かって笑いかけた。
「さあ、それよりも。ここで、昼寝でもなさいますか?それとも、早駆けで私と競争して下さいますか」
「うーん…」
 今すぐに帰っても、サロメに叱られるのは変わらないし、そう考えてしまったクリスは、不謹慎ともいえるその考えに内心で苦笑した。
 しかし、こうしてわざわざ、クリスのために気晴らしを用意してくれたのだ。ほんの少しだけ、楽しんでもいいかと思えた。
「じゃあ、久しぶりに勝負するか、パーシヴァル」
「光栄の極み」
 ふざけて一礼したパーシヴァルの肩を、クリスは笑って軽くはたいてやった。
 二人はその場で立ち上がった。各々の馬に近づいて、木の幹に巻きつけた手綱を取り、騎乗する。
「あの向こうに見える、一本木までの勝負だ」
「どちらが先に着くか、お楽しみですな」
 …ほんの思いつきに、パーシヴァルは楽しげな笑みを浮かべた。
「そうだ、クリス様」
「うん?」
 馬をクリスの側に寄せ、話し掛ける・・・振りをして、耳元に口を寄せた。
「きゃっ!?」
 クリスは悲鳴を上げて一気に顔を赤くし、片方の耳を抑えた。
 パーシヴァルは身体を寄せたクリスの耳元に息を吹きかけ、極上に甘い声で「お先に」、と囁いたのである。
「パーシヴァル!!」
 クリスが叫んだ時、パーシヴァルは既に馬を駆ってその場を離れた後だった。慌てて、クリスはその後を追った。
「待て、パーシヴァル!ずるいぞ、こんな…」
「可愛い悲鳴でしたな、クリス様」
「パ、パーシヴァル!!待てったら、たたっ斬るっ」
「余計に待てませんな」
 余裕でクリスをかわすパーシヴァルの機嫌の良い声に対し、クリスの顔は耳まで真っ赤だった。


 その後、連れ立ってサロメのもとに戻った二人は、彼らの軍師から延々と叱られる羽目になった。
 それがひと段落ついたとき、サロメはため息混じりに「それで、お二人で何をしてらっしゃったのですか」と問いかけて、首を傾げることになった。
「早駆けで勝負を」
 と応えたパーシヴァルの満面の笑みと、そっぽを向いたクリスの見事なまでの赤い顔が並んだのである。
 不審に思って詳しく話を聞きだそうとしても、二人は口を割らず、結局、この出来事はあやふやにされたまま、詳細を知ることはできなかった。
 数日間、クリスはいきなり顔を上気させてぼんやりすることが何度か続き、対してパーシヴァルは極めて上機嫌であった。
 唯一、ほぼ正確に事情を察したナッシュは、ただ苦笑したのみで、自分のお節介を他言することはなかったのである。





まとまりのない話になってしまいました・・・。
パーシヴァルが好き勝手してますね(笑)
ナッシュがキューピッド役をしてますが、ここまでクリスに「息抜き」させて欲しいとは思っていなかったでしょう・・・(笑)

2003.01.03